変わらないもの?

投稿者:
ライフネット生命 スタッフ

TVやネットで、老舗の飲食店が取り上げられる際、よく「40年前から変わらぬ味」とか、レビューコメントで「味が変わった、前の方が美味しかった」といった話に触れる事があります。

好むと好まざるにかかわらず、昔のものと変わっているものについて、今回は日本酒を取り上げてみたいと思います。

端的に言って、志向性や精米技術や冷温管理など環境の違いなどから、現代造られている日本酒に比べ、昔の日本酒は凡そ別物であったといえるようです。

ある学者が江戸時代の資料を基に酒造りを再現したところ、現代のものよりもアルコール度数は数%高く、甘みや酸味についてはだいぶ骨太なものが出来たそうで、なおかつ庶民が口にするお酒は、水で薄められ4~5%の度数のものだった、との話があります。
(味の違いは不明ですが、現代でも、意図的に度数高めで甘みや酸味を強調した造りとしているお酒もあります。)

過去の自身の体験として、歴史小説の中などで取り上げられる日本酒に浪漫を覚えながらも、凡そ異なる日本酒を飲んでいるということに、何とも微妙な心境を覚えた事があります。

日本酒愛好家としても知られる音楽家、レティシア・桂子・スペンサー(※)にも類例のエピソードがあります。

彼女の日本での故郷は、アルコールでいえば焼酎圏であるものの、OPENして間もない頃の表参道ヒルズの酒販店に試飲に来た際、

『「日本酒」という名称、まさにそのものから、日本酒をソウルドリンクとして捉えたことが、日本酒に入り込むきっかけとなった。』

旨のお話しをされていた、朗らかな笑顔をとても印象深く記憶しています。

現在自身が口にしている日本酒と、ソウルドリンクとしての伝統的な味わいとのギャップに触れた時のインパクトを、「錦江湾」(※)に続くエッセイ「同期化」の中で次のように述懐しています。

『思い返してみれば、過去に経験した「音楽についての、浪漫と、音楽性自体」や、「迷いへの迷い(※参照:エッセイ〔錦江湾〕)」と、同質の狭間での困惑だったように思う…』

食品であれ、飲料でも音楽でも、みなさんは浪漫と、現在のそのものとしての評価、どちらに魅かれる方でしょうか?

悲しい事に、浪漫を追及しても、厳密に昔のものと全く同じものを体験出来ない事が殆どではあるのですが、、、

※部分については、下記リンクの該当記載をご参照ください。(当社社員の空想の世界です)
悲しい事に、追放された理由がわからない

コンタクトセンター
畑野

※お酒は楽しく適量を

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