年賀状がとりもつ一本の電話

投稿者:
ライフネット生命 スタッフ

12月の日曜日の朝9時過ぎに電話が鳴りました。休みの日のその時間帯には畳屋さんから表替えを勧める電話が、幾度かかかってきていました。「また畳屋さんからかな」という思いで、受話器を取りました。

「S高校のBです。」

電話での一声を聞いたときに、あまりの思いがけなさになんと答えたか、いま思い出せません。学校を卒業以来、大学生のときに一度会ったか、会わなかったか記憶が定かではないくらいの高校の同級生だったのです。もう50年近く会っていないことになります。そんなBくんですがこの50年間途切れることなく年賀状だけは交換していました。いつか会えるだろうと思いながらも、もう会えないのかなという思いもなきにしもあらずでした。年賀状に書いてある電話番号を頼りに同窓会の連絡をしてきたのです。

「まだ働いているんだね。働ける場所があることはいいことだよ。」
ライフネット生命で働いていることを年賀状に添え書きしていたのです。
「Bくんも働いているのかな。」
出版社に勤務していたことをやはり年賀状で知っていました。
「ぼくはもう2,3年前に仕事は辞めたんだ。」
「元気なのかな。」
「じつは5月にちょっと入院してね。」
「どのくらい入院していたの。」
「たいしたことないんだ。脳梗塞で1か月くらいだった。」
わたしは、保険金の支払査定後の検証作業を担当しており、病気に関する事例に数多く接していたことから後遺症など心配になりました。
「いまはもう大丈夫だよ。」むかしのBくんらしく元気よく答えました。

当時のわたしたちの付き合いがどんなものだったか具体的には思い出せないのですが、ふたりとも落語が好きだったことが共通点でした。そして、Bくんは当時のわたしよりは大人びて成績も良かったと思います。長男のBくんと4人の兄姉と歳が離れた末っ子のわたしでは、兄と弟にも似た関係だったかもしれません。わたしだけそんな思いでいたのかもしれませんが、電話で話しながらも、饒舌に元気よく話すBくんに当時のわたしの思いが甦りました。Bくんが大学浪人生活のときに、残念ながら疎遠になってしまったのかもしれません。ただ、年賀状だけはお互いに欠かさずやり取りしていたおかげで、こうして電話で話す機会を得ることができました。

この50年間はBくんにとってどんなものだったのかなと、団塊の世代の同期として思いを馳せます。同窓会には他の用事が重なり出席できなかったのですが、来年はクラス会を開催したいとのことで、ぜひ一度50年ぶりにBくんに会ってみたいと期待しています。そのときは、お互いに分かるだろうかと多少心配でもあります。

お客さまサービス部 中村でした。


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