50年前の東京オリンピック

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ライフネット生命 スタッフ

「TOKYO」のひと言で日本全国に歓喜が湧き起こってから、早くも1年が経ちました。決まった瞬間のライブ中継の光景が目に浮かびます。前回の候補選定のときは、わたし自身あまり興味がありませんでした。しかし、今回の東京オリンピック開催を願ったのは、2011年3月11日の東日本大震災が大きく影響したように思います。それは50年前の東京オリンピック開催により、敗戦の中から日本が復興したことと二重写しのように見えます。

1964(昭和39)年10月に開催された東京オリンピックは、昭和30年代を締めくくる意味でも最大のイベントでした。昭和天皇の開会宣言のお言葉「第18回近代オリンピアードを祝い、ここにオリンピック東京大会の開会を宣言します。」は、陛下の独特のイントネーションとともに鮮明に覚えています。昭和20年の敗戦の中から立ち上がって日本を再興させる思いは、国民ひとりひとりがかたく誓っていたのではないでしょうか。新幹線や高速道路など恐ろしいスピードで完成させてゆき、日本経済の高度成長を支えるとともに社会資本も充実しました。

当時わたしは高校2年生で、ようやく一般家庭にまで普及した白黒テレビで競技を観戦しました。バレーボールの東洋の魔女、重量挙げ、体操、マラソンなど良く覚えています。わたしが唯一、じかに観戦した競技があります。それはサッカーです。試合のチケットが余っていたため、学校で団体として見に行くことができました。今では考えられませんが、サッカーはあまり人気がなかったようです。どの試合かも覚えていないのですが、外国チーム同士の不人気カードだったのでしょう。今回調べてみましたが、参加国数は14カ国で、このとき日本は準々決勝でチェコスロバキアに敗れています。

オリンピック開催期間中の2週間は、日本国中がお祭り騒ぎのようでした。日本社会のすべてがオリンピックを中心に動いているような状況だったと思います。最大のお祭りの後、「終わってしまったなあ」という一抹の寂しさを感じたものです。畳敷きの茶の間で父、母、兄、姉たちとともに6人が小さな白黒テレビを囲んで日本を応援した光景は、昭和ノスタルジーを彷彿とさせる一幕の思い出です。前回の東京オリンピックは、昭和を代表する金字塔だったのではないでしょうか。2020年の東京オリンピックは、また違った意味で日本国民にとって後世に残るイベントとなりますように応援したいと思います。

お客さまサービス部 中村でした。

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