夏休みの自由課題

投稿者:
ライフネット生命 スタッフ

こんにちは。お申し込みサポート部の吉見です。

夏休みの宿題に「自由課題(自由研究、自由制作)」というものがあります。テーマはフリー。何をやっても良いから、自分で何かをやりきってみよう、という趣旨の宿題です。

最近は自由課題のための情報も世にあふれていて、Webでちょっと検索しただけでも山のように出てきます。書籍も何種類も発刊されています。ちなみに、2年生になる長男の今年の自由課題は、「ビー玉ジェットコースター」です。ジェットコースターに見立てたビー玉が、レールや階段を疾走する、というものです。とある書籍に載っていたもので、見た目が面白そうという理由だけで選びました。でも、結構難しくて、文字通り汗だくになって(私が)つくりました。98%くらい親(私)の作品です。長男は色画用紙を段ボールの箱に貼るという最後のデコレーションのみを担当しました。一応、画竜点睛ということで。

翻って、私が小学生のころ、何をしていたのかなと振り返ってみるに、意外にもちゃんと覚えていました。他の宿題については一切覚えていないので、自由課題はよほど印象深かったようです。

▽1年生
船の模型をつくりました。でも、別に船が好きなわけでも、模型が好きだったわけでもありません。おそらくは父の何気ない思いつきではなかったかと。父に手伝ってもらったのはこれが最初で最後なのですが、なぜか妙に張り切っていて、ほとんど父ひとりでつくっていたように思います。薄いベニヤ板を糸ノコで切り、微妙な湾曲をつけて木工用ボンドで貼り合わせていくという作業を繰り返して舟形に成形していきます。帆柱はアイスクリームの丸い棒、帆布はお菓子の包み紙の和紙を使いました。父はヨットだと言っていましたが、一本柱に大きな矩形の帆布が据えられた姿は、どうみても「北前船」というおもむきでした。しかも、和紙の模様が三つ葉葵(徳川家のご家紋)であったため、より和のテイストが色濃く。一見して小学生がつくる意匠ではなかった(渋すぎた)ようで、瞬時に親につくってもらったことがバレました。あと、三つ葉葵の帆布が水戸黄門っぽくて恥ずかしかったのを覚えています。

▽2年生
カエルをつかまえて持って行きました。5匹くらい。
なぜそんなことをしたのかは思い出せないですが、察するに昨年度の反省をいかして自分の力で何とかしようとしたのだと思います。とはいえ、「自分の力」なるものがあまりに非力であったため、カエルをつかまえるくらいしかできなかったようです。カエルを持っていくことが自由研究になると思った豪胆さは相当なものですが、「自由」ではあっても、決して「研究」ではなかった点が残念です。

▽3年生
工作や研究ではなく、絵を描くことにしました。モチーフは旅行で行った白兎海岸の風景だったと思います。どういう経緯だったかは覚えていないのですが、祖母に手伝ってもらうことになりました。ちなみに、その頃祖母は俳画を習っていました。俳画とは俳句に添えられる簡単な絵のことで、ひと頃流行った絵手紙のようなものです。俳画の技法では決してないと思うのですが、祖母はなぜか、絵具を薄く水でのばし(ほとんど水かと思われるほどに薄く)、相当水分過多な状態で、幾重にも塗り重ねていくという技法にこだわりました。画用紙はそもそも水に弱いので、塗り重ねるひと筆ごとに表面を剥がすことになり、消しゴムのカスのようなモロモロが大量発生してしまいました。このモロモロが何とも胸を締め付けます。泣きたくなったのを覚えています。そして、モロモロがいっぱいこびりついて破れる寸前になった画用紙を一所懸命乾かしました。乾いたら案の定、水分で画用紙はボコボコに。出来上がった絵は、印象派の絵画のようにぼやけた感じで、かろうじて風景画であることはわかるものの、どこの何の風景だかわかりませんでした。ちなみに祖母は旅行に参加していなかった(想像で描いていた)ので、この点も無謀でした。

▽4年生
自由研究なるものに初めてチャレンジしました。研究テーマは「カビの繁殖」です。
風通しの良いところ、暗くてジメジメしたところ、高いところ、低いところ、と数か所に食パンを置いて、毎日写真を撮り、模造紙に貼っていく、ということをしました。
ファクトの収集までは良かったのですが、そもそも仮説をもって臨んでいなかったため、模造紙に何をコメントしてよいのかわからず、「で、何だっけ?」と途方に暮れたのを覚えています。結局、何を書いたのかは覚えていませんが、ファクト(写真)の羅列に終始したように思います。というか、1週間もすればどの場所のパンもカビだらけになって見分けがつかなくなるのですが。ちなみに、クラスの女の子2名が、同じく「カビの繁殖」に関して共同研究をしていました。ちょっとしたカビ研究ブームです。彼女たちは食パンに加えてソーセージでも実験をしていました。さらに、気温と湿度も記録しており、仮説、データ、ファクト、結論、すべてにおいて私の研究を上回るものでした。完敗です。

▽5年生
再び絵に回帰。今度は自分で描きました。
なぜかは覚えていないのですが、瓦(かわら)が波打って重なっている造形に当時は魅せられていたようで、しかも、瓦のことを恰好つけて、「甍(いらか)」とか呼んでいました。なので、タイトルを「甍(いらか)」にして描こうと思い、旅行先まで画用紙を持参してスケッチをしました。でも絵具を忘れたので、色は隣家の瓦を見て塗ることになりました。せっかく旅先でスケッチまでしたのだから、もっと旅情あふれる絵にすればよかったなという点が悔やまれます。あと、瓦を甍(いらか)と呼ぶことが恰好いいと思っていたことも、かなり痛いです。

▽6年生
再び自由研究に。ただ、6年生にもなると悪知恵がついてきて、禁断のコピペに手を染めてしまいました。しかもコピペであると足がつかないように、周到にコピー元を選びました。選んだのは参考書や図鑑、百科事典のたぐいではなく、問題集で、しかも、10年くらい前に発行されたかなり古い本からパクりました。内容は水草の葉の表面積と太陽光の量との関係、みたいなやつです。光合成絡みです。所詮、理科の「問題」でしかないので、量も質もたいしたものではなく、ペラペラな内容をいかに針小棒大にふくらませるか、ということに頭を悩ませました。水草自体は実家の近所の田んぼにいくらでも浮かんでいたので、これを採取。あたかも実験の結果増殖したかのような写真を何枚も撮りました。証拠の捏造というやつです。コピペや捏造という悪事に手を染めたことが悔やまれます。

と、振り返ってみるとかなり残念なものばかり。
長男は大人になって振り返ってみて、私のように残念な思いをすることがないように、ちゃんと自由課題に取り組むよう指導していきたいと思います。来年から。

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