ジュネーブの家族のもとへ行くため、仕事を終わらせなきゃと出社した土曜日の朝。
エレベーターを降りると、いつもなら暗いオフィスの部屋に明かりがついていました。
何だろうと思いながら部屋に入ってみると、そこにはいつもビルを綺麗にしてくださっている清掃の方々が天井部分の掃除をされていました。
梯子を使ったりして、若干大がかりなので、平日の業務時間には見ない光景ですが、こうして、普段社員がいない時間に、社員の誰も見ることのないであろう天井を掃除してもらっていることや、普段ゴミを捨ててくださったり、掃除機かけてくださったりしてもらっているおかげで、私たちは快適な職場で過ごすことができてるんだなぁと改めて考えさせられました。(ちなみに清掃のおばちゃんと私の故郷は隣町なので勝手に親近感を持ってます)
さて、私は社会とか組織とかを考えるときに、身体や軍隊をイメージすることが多いのですが、身体で言えば、肝臓や腎臓などの内臓がきちんと動いてくれるから私たちは日々生活することができ、軍隊で言えば、補給・輸送、情報・通信などの後方支援部隊がきちんと動いてくれるから前線の部隊は任務を全うすることができるわけです。
普段、目にすることや意識することのないところで、誰かが何かをきちんとやってくれている。それがあるからこそ、安心して日々生活できたり、新しいことに挑戦できたりします。
一方で、決まったことをきちんとやることの難しさもあります。
前職のときに多くの政府の会議に出たのですが、その中で、一番印象に残っているのが、ある製薬メーカー社長の言葉。
「世の中には当たり前のことが当たり前のように行われていない事例は事欠かず、
また企業経営者としても当たり前のことを徹底してやることの難しさを
日々苦労しているのが実態でございます。」(中央医療社会保険協議会薬価専門部会・2009年8月5日)
なぜこの言葉が印象に残っているかというと、大企業トップでも、同じ悩みを抱えているんだなぁと思ったからです。
特に、絶えず薬害リスクと背中合わせで社会的責任も感じる製薬メーカーなら当たり前のことが当たり前になされない怖さには敏感なのかもしれません。
このような当たり前のことを当たり前にやることの難しさがあるからこそ、誰かがきちんと何かをやってくれることへ有難みを感じることができます。
もちろん日々の改善やら、新しいことへの挑戦は社会の発展や組織の成長にとって必要なことですが、それは足腰なりホームベースがしっかりしてからのこと。
そんなことを思いつつ、もうすぐジュネーブへのフライト。
あの1万メートル上空を時速1,000キロ近くで飛ぶ鉄の塊の中での長い空の旅が安心・安全で快適なものとなるために、果たして何人の人たちの当たり前の積み重ねがあるのだろうかと思うのでした。
法務部 木庭