そんな積み重ね

投稿者:
ライフネット生命 スタッフ

「昨日調律しました。」
連休前の会社からの帰り道に、母親からこんなメールが来ていた。

「もしや前回の社員ブログにピアノの調律を見るのが好きだと書いたのを読まれたかな?でもそしたらやる前に言ってほしいよな。まあ、平日に調律を見るために休むのもどうかと思うが。というか、それ以前に親に社員ブログ読まれるのとか恥ずかしすぎるんだけど…。」

などと思いながら連休で帰省したときに聞いたら、「ほら、あんたこの前帰ってきたときに調律されてないって文句言ってたから。」とのこと。確かに、前に帰ってきたときは、触っただけでさほど音感のあるわけでもない自分にも明らかなほど狂っていた。まあ、別に文句を言ったつもりは全くないのだが…。
そんなわけで、せっかく調律をしたとの報告を受けたので、なんとなく昔やってた曲でも弾いてみようかとピアノに向かった。

…あれ。指が全く動きません。思えばピアノと真面目に対峙するのは数年ぶりだ。いや、それ以前も決して巧くはなかったが、それにしても動かな過ぎる。イメージだけが先走ってしまい、ミスタッチの嵐というか、もうこれは「弾けてない」ということだろう。

あまりの衰えぶりに落胆しつつもそのまま引き下がりたくはなかったので、気持ちを落ち着けてから楽譜を引っ張り出し、1からやり直すことにした。
初見の曲はどうやって練習するのだったか。譜読みすらままならないもどかしさにある種の懐かしさを覚えながら、まずは片手ずつ弾いてみる。キリのいいところまでゆっくり合わせてみる。ぎこちないところ・引っかかるところはテンポを落として、スムーズになるまで繰り返し。そういえばどこかで「終わりから遡っていく練習法」の話を聞いたことがあるな。

という具合に奮闘すること30分ほど、譜読みし立ての荒削りではあるが、ようやく通して弾けるようになった(短い練習曲みたいなものです)。このように簡単なものでさえ不完全な状態が少しでも形になるとなんだかちょっと嬉しい。この「ちょっと嬉しい」を次の小さな成功体験の糧にして、少しずつでも前に進んでいく感覚、大事にしていきたい。

と同時に、時には当たり前になってしまっていることをいったん忘れて身の回りや自分の行動なんかもじっくり見つめ直したら、散らかり気味なこの生活も多少はスマートになるかも知れないな、などと朧げながらも考えさせられた初夏の昼下がりであった。

数理部 片切 嘉


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