我人生とマラソン

投稿者:
ライフネット生命 スタッフ

監査部の富田です。

私の大会マラソン参加記録は、2007年2月の「青梅マラソン」(10km)が最初でした。

一度はフルマラソンを完走したい一心で始めたランニングが今年の2月迄で30km1回、ハーフ6回、10km他で13回だったのですが、この3月の「荒川市民マラソン」が暴風波浪警報で中止となったことで、4月18日の「かすみがうらマラソン」で、初めてフルマラソン参加致しました。
そして、苦戦の果てに念願の42.195kmを完走出来ました。

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フルマラソンを意識して2010年2月の「青梅マラソン」では、30kmを初挑戦しまして完走出来たのですが、終わってから、これ以上の距離延長は、かなり厳しいものがあるだろう、と感じておりました。
しかし、「かすみがうらマラソン」当日の早朝、玄関で「これまで何とか30kmまで走れるようになったんだから、良く頑張って来たよね」との家族の励ましも受けて張り切って出掛けました。
自宅から約2時間半でJR土浦駅に到着しましたが、大勢の参加者が会場に向けて歩いていましたので、メラメラと闘志が湧いて来ました。
スタートの合図で花火が上がり暫くは歩く状況でしたが、少しずつランナーの固まりがバラケ出しますと、皆、寡黙になったように見えました。
ザッ、ザッ・・・とランナーの靴の音がリズミカルに耳に入りだし、私も遅れじと両手をしっかり振って走り続けました。好天気であったことや体調が良かったことで余り脚に負担を感じることなくハーフ折り返し地点を通過出来ました。

「良いぞ、良いぞ」と自己洗脳しながら、私としては未踏の30km標識地点を通過しても何とか流れについてけました。しかし、霞ケ浦が左側に大きく広がる33km辺りから、急激に脚色が鈍りだしました。給水しても、バナナを食べても恐ろしいほどの疲労感に苛まれ出して、37km近くでは、正直完走出来るかどうか不安な気持ちになって来ました。ところが、減速したままでも、沿道からの声援や給水をエネルギーとして我慢、我慢の走りを続けて、一時期歩く局面もありましたが、両手をあげて何とかフィニッシュ地点を通過する事が出来ました。
「やった!」と言う気持ちより、「疲れた!」が実感でした。

完走証を頂くと、タイムは5時間20分でした(目標4時間50分!)が、ふらふらしながら着替えして帰宅の途に着く頃、初めて頑張って良かった、ネパーギブアップの精神の大切さを感じたものです。
マラソンは人生に喩えられるのはもっともだ、ともこの日の日記にしたためました。
その1週間後には、「PARACUPマラソン」が多摩川沿いでありハーフに参加し、比較的自信を持って完走出来ました。ランニングを続けること、しかもコツコツと三度の食事のように。これの実現で、我人生とマラソンがセットになった、と思うようになりました。
フルマラソンを完走出来た以上、今後の目標を大会マラソン100回達成することに切り替えたいと思います。

富田和彦


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