リーマンショックから10年

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ライフネット生命 スタッフ

2008年9月15日、リーマンブラザーズは破たんした。日本は祝日(敬老の日)だったから、そのことは自宅でニュースを見て知った。

振り返れば2007年夏以降、米国を中心に世界の証券市場は異様な空気に包まれていた。ダウ平均はこれまでに見たことがない振れ幅で日々乱高下した。2007年8月、パリバショック(値付けができないという理由でBNPパリバが運用するファンドの解約ができなくなった)が起き、2008年3月、米5大証券会社のひとつであるベアスターンズが破たんした(JPMチェースによって救済)。
それ以来、市場には”Who’s next”(次に破綻するのはどの会社か)と次の標的を探す動きが広がり、リーマンがその筆頭候補となっていたが、ベアスターンズと同様に政府が動き救済されるものと多くの人が信じていたと思う。

ニュースを見て呆然とし1時間ほど何も手につかなかったが、気を取り直して課長達に順番に電話をして、(市場が暴落するのは当然として)、オペレーション面での影響の洗い出しと翌日の早朝出社を命じた。

リーマンとはワールドワイドで株や債券の取引をしていたから、各国で受け渡し中の取引(約定は済んだが受け渡しが未済の取引)が宙ぶらりんになってしまうのが気がかりであった。また、貸株取引用にリーマンに株券を預けていたので返却を求める必要がある。結局、東京市場では大きなトラブルにならずに済んだが、ロンドンではリーマンが運用するファンドが破産管財人の管理下に置かれ、引き出せなくなった(リーマン相手の店頭デリバティブのポジションはなかったことは不幸中の幸いである)。

更に不安はリーマンに直接関係がある証券にとどまらず、仕組債全般に広がった。米国では貸債取引を行っていたので、担保として受け入れている債券の中身を確認したら、仕組債だらけで心底驚いた。当時、保有する米国債を貸債として証券会社に預託(代わりに担保を差し入れさせる)し、そこから上がる手数料だけで、バックオフィスの費用数億円を賄っていたので手数料を一気に失うことについては心苦しかった。しかし、貸債用に預託している債券が消失し担保債券が担保としての用をなさなくなれば、その何千倍もの損を蒙ることになる。背に腹は代えられない。早速担保を国債など優良債券に限るように取り扱いを変更したら、案の定貸債取引が激減し、手数料はスズメの涙ほどになった。

リーマン以外の証券会社も飛ぶのではないか。海外にある証券は本当に保全されるのか。そのような質問を矢継ぎ早に受け、それ以降数か月は、弁護士事務所に通い、そもそも海外の証券が、国ごとにどのような法制度の下で保全されるのかということについて調べ、まとめる日々が続いた。ほとんどの投資家はこれまでそんなことを意識したこともなかっただろうし、詳しく調べたこともなかったであろう。当時の切羽詰まった状況を思い出すたびに今も胃がきりきりと痛む。

あれから10年。あの日、あの頃、皆さんは何をしていましたか?

注)これは個人的な経験の一部分であり、当社とは一切関係がありません
お客さまサービス本部 山崎

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