またまた、本の話

投稿者:
ライフネット生命 スタッフ

小さいとき、私は友だちが多いほうではなかった。正確に言えば、友だちと遊ぶより本が好きだったのだ。本はいつでも一瞬で遠い世界に行かせてくれる。

お気に入りだった、「うさこちゃん」や「ぐるんぱのようちえん」。
「ぐりとぐら」のパンケーキがあまりに美味しそうだったこと。
「ヒロシマのピカ」を読んでは戦争への無条件な嫌悪感。「デブの国ノッポの国」や「クレヨン王国」で空想の世界に飛べたこと。
「長くつ下のピッピ」や「やかまし村」を読み、遠い北欧に思いをめぐらせたこと。
両親が読み聞かせてくれた「少年ケニヤ」の冒険。
読み返すたびに夜が明けてしまう「海底2万マイル」と「2年間の休暇」。「君たちはどう生きるか」、を前にまだ見ぬ将来に震えたこと。

純粋に「本を読む」という行為は、教科書などで知識を積むこととは全く違うと思う。
同じ「紙を繰る」行為なので、子どもがしばしば学校の勉強と読書を混同して、読書を敬遠しがちになるのはそれゆえかもしれない。
大人になっても区別が付かない人は多い。マニュアル本やビジネス誌を読んだり、何かを調べたり、仕事のスキルアップのための本を読む行為は、教科書行為であって「読書」ではないと思う。
読書が趣味ですという人にもいろいろあるわけだ。

本を読むことは単に知識を増やすことでなくて、“いい雰囲気”を蓄えることかなぁと思う。
圧倒的な感受性を持つこども時代に、その源をさんざん吸収出来た人は、ちょっといやらしく言えば効率が良く、そして幸運であると思う。
知識はひけらかしちゃったりするが、“いい雰囲気”は感じ取らせることしかできない。
そしてそれを感じ取ることは行間を読むということと似ているかもしれない。
行間を読むことも訓練だ。
生まれながらに出来る人もいるが、出来なくても本を読むとかなり出来るようになるはず。
出来る人はますます出来るようになる。
行間を読めるということは他人の気持ちを含め、自己以外の世界を気遣うことにつながる。

と、つらつら書いてきましたが、翻って自分のことを考えると、確かにたくさん読んできたものの、生かされているかは甚だ疑問です…

経営企画部 川越

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