もやもやとアドバイス

投稿者:
ライフネット生命 スタッフ

あるとき突然、「あのときあの人が言っていたことはこういうことだったのか!」と閃くことはないでしょうか。
たとえば、お風呂に入ってぼうっと天井を眺めているとき、落ち葉の積もった街路を歩いているときなど、何気ない日常の中でふいにその瞬間はやってきます。
そして次にこう思います。「このタイムラグは何なのだろう?」

タイムラグがあるということから、日常で投げかけられるアドバイスの全てをきちんと活かせているわけではないと思い当たります。
どうやら自分が理解できるタイミングというものが存在し、それまでは言われたことの意味を理解できないままでいるようです。
そんなことを考えるうちに最近、「人は(少なくともわたしは)、自分が無自覚のうちにでも意識していることだけを認知できるのではないか」と思うようになりました。
そういえば外国語の母音や子音は聞き取れなかったり、日本語の会話でも初めて聞く単語は聞き取れなかったりするので、この説はあながち間違ってはいないのではと思います。

このことから、人の話の中に「自分のはっきりとした意識(体験したり聞いたりして得た知識や、想像など)」の範囲内の事柄があると、それに反応して認識するという認知のプロセスのようなものが考えられます。
「自分の潜在意識」に呼び掛けるような言葉に出会ったときは、他人の言葉で「自分のはっきりとした意識」をトレースするときには起きない「そうか!」という発見が起こります。
人に言われたことが「もやっと自分の中に溜まってきていたがうまく言語化されずにいた潜在意識」に結びついたり、その「もやもや」をずばり他人の言葉が言語化してくれたりしたとき、他人の言葉が自分の中で強烈な印象を持って意識され、ものすごい大ヒントをもらったように思います。
このときの一瞬のキラメキは、高校化学で習った、熱を放出する化学反応に似ている気がします。
不安定だった言葉で表現できないもやもやが相手の言葉とマッチして化学反応を起こし(閃き)、言語化されて安定状態になるイメージです。
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逆に、自分の中でひっかかるものがないと、認知できないために取りこぼしてしまう可能性があるのだと思います。
社会人9カ月目の自分として問題となるのは、もっぱら「どうすれば人からいただいたアドバイスの意味を取りこぼさないようにできるか」です。
せっかく先輩方や上司からアドバイスをもらっても、それを理解できなかったり気づかないまま通り過ぎてしまったりしていては意味がありません。
そこで考えた結果、できるだけ自分が「もやもやした状態でいる」ことがよいのではないかと思いました。「もやもや」するためには、2つの道がありそうです。
①経験の絶対量を増やす(未消化の経験をストックする)
②人に言われたことで分からないことがあったときに、その「認知できない何か」を無意識のうちに取りこぼさないよう注意し、「あの人がこう言ったのはなぜ?」と意識する(未消化の言葉をストックする)
こうして自分がしがちな考え方以外の可能性を常に探していることで、偶然か必然に材料(経験や言葉)がそろったときに、その意味をキャッチできるような気がします。

「人は自分の(潜在)意識にあることを認知する」という説は、自分が発信する側として応用することもできると思います。
自分が「当然」あるいは「自明」などと思っていることについて改めて確認したり言及したりすることがつい少なくなり、反対にそうでない「ちょっと新しいもの」についての発言が多くなるということがあります。
決して当たり前のこと(と自分が思っていること。以下同じ)を軽視しているわけではないのですが、当たり前ゆえにわざわざ伝えようとする意識が働かず結果的に素通りしてしまうのです。
しかし発言の中で耳新しいことが増えるのですから、相手に認知されない可能性が高くなります。
相手の潜在意識に響くようなことが言えればよいのですが、そうでなければ自分の意見も理解されないばかりか、当たり前のことを理解していることも伝わらないままとなってしまいます。
よって、新鮮味はなくても重要な共通認識をしばしば表すことは、周りの人に納得感や安心感をもってもらうという意味で大事なのではないかと思います。
一人ひとりが違うからこそ、なるべく考えを言語化することを習慣化し、相手に理解してもらえる努力・自分が相手を理解する努力を続けていきたいと思いながら、今週新たにいただいたアドバイスを手帳に書き込むのでした。

企画部 前田


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