ありがとうって言ってくれてありがとう

投稿者:
ライフネット生命 スタッフ

ありがとうってちゃんと言える人になりなさい、と言われて育ったかどうか自分は定かな記憶はないのですが、言われた気がします。

私も子どもができて、日々の生活の中で一緒にいろいろ学んでいく中でしばしば子どもに対して強調してるのが、

「ありがとう」っていっぱい言った人は幸せになれるんだよということ。

日々、いろんな人と接しながら生きていく中で、なにかしてもらうのが普通のことに感じがちです。

でも、自分ではない誰かが自分のために何かをしてくれることなんて文字通り「有り難い」ことです、きっと。

そういえば、「有り」「難い」の意味を考えさせられたのはたしか、中学の時の古文の梶原先生がきっかけです。
「ありがたい、とは『有り』『難い』ことが起こったときに、そのことに畏敬・感謝の念を表す表現だったんですな。フッ(ニヤリ)」 との言葉でした。
眠たかった授業中に「おぉ~、そういうことかぁ」とちょっと目からウロコだった記憶があります。

妻と共に育児をしていると、その大変さも身にしみてわかります。平日は大して何も手伝ってあげられていないのに、家に帰ったら自分のために夕飯が用意されています。
「ごめん、おかずこれだけしかないんだけど。」と妻は言いますがいやいや、ご飯とおかずがあるなんて、まっことありがたい。
子どもをお風呂にいれたり、食事させたり、着替えさせたり、布団引いたり、寝かせつけたりする中で、よく私の分まで食事用意してくれたな、と。

妻の母から聞いた話で「うちの主人は私の作った料理に不満を一度も言ったことがないんよ。
いつもおいしく食べてくれるから幸せなんよ。」と。
ちょっと南蛮漬けの味付けが酸っぱすぎたときも、魚が少し焦げすぎたときも
「今日は酸っぱいのが食べたかったんよ。おいしいよ。」
「今日はよく焼いた魚が食べたいって思っちょったんよ。ありがとう。」と言ってくれるそうです。 
「だから、幸せ」と。

こういうことの積み重ねで日々の生活が少しずつ幸せにできるんなら「ありがとう」っていっぱい言った人は幸せになれる、ってのはきっと正しいと思っています。
そんな考えもあり、我が家ではしばしば、「ありがとう」って言ってくれた人に「どういたしまして。ありがとうって言ってくれてありがとう。」って言います。
そうすると、子どももそれに対して「ありがとうって言ってくれてありがとう」 とおもしろがってお互いに「ありがとう」を繰り返します。
なんか「ありがとう」が貯まる気がして少しうれしいし、ちょっと笑顔になれます。

こんなカラフルなお花を私のために作ってくれて、「お仕事のところに飾ってね」と言ってくれた娘にも、心から「ありがとう」って言いました。

コンタクトセンター
森山

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