また白黒の映画を観てるね

投稿者:
ライフネット生命 スタッフ

最近、テレビで放映されている映画を録画し、隙間時間に観ています。
色々な映画を観ていると、黒澤明監督の映画がとても面白く感じます。録りためてあったものから続けざまに黒澤作品を観ていた時、それに気づいた妻のセリフが冒頭の言葉でした。

「白黒の映画」という言葉から、どんなイメージ持ちますか?
ぼくは「古臭い」、「つまらない」というイメージでした。しかし、黒澤作品、つかみから目を離させないストーリー展開、三船敏郎の安定した渋いカッコよさ、仲代達也、田中邦衛、加山雄三、山崎努の見たことのない若々しい役柄など(彼らがおじさんになってからしか見たことなかったので)、なんとも観ていて楽しいのです。三船敏郎が「ガハハッ」と笑って、バサバサと悪者を切って、勧善懲悪で終わる時代劇はとても爽快なのですが、いくつか趣の違う作品もあります。

例えば、「生きる」。
物語は現代、戦争直後くらいでしょうか、映画の半分も終わらないうちに主人公(志村喬)は亡くなり、あとは主人公の葬式のその場でストーリーが展開していきます。胃がんになったことを知った主人公が、惰性で生きてきた今までの人生の意味を見失い、また生きる意味(あるプロジェクトを成し遂げること)を見つけるまでのストーリーなのですが、生きる意味を見つけて以降の志村喬の落ち窪んだ眼光と、何としてもプロジェクトを頓挫させないという気迫、鬼気迫る演技は、ありきたりな言葉ですが、心を動かされました。

「生きる」というタイトルは、単に生死を語ったものではありません。
生きる、とは、「人生の意味や目的を持って、自分の身命をそのために使う」ということを、意味しているのだと思います。だから、主人公が惰性で生活しているとき「生き」てはおらず、人生の意味を再定義し、身命を賭して目的のために行動しているときが「生き」ているのです。

一方で、目的がないと、「生き」ていないことになるのだろうか、とも思うのです。
もうすぐ1歳7か月になる自分の子どもを見ていると、「今、その瞬間」を存分に「生き」ています。彼の目的は、ごはんを食べること、排泄すること、寝ること、絵本を読んでもらうこと、バスや船やパワーショベルを見ること、トーマスの映画を観ること、等々ですが、これらは、人生の目的、というほどではなく、ほとんどが欲求というレベルのことばかりです。しかし、彼が全力で笑い、泣き、食べ、歩き、話す、そんな姿を見ると、「精一杯、生きているなぁ」と感じるのです。

小難しいことを考えたいわけではないのですが、「人生の目的をもつこと」と「今、その瞬間の気持ちに率直に従うこと」は、生きることの礎なのかなぁ、と思います。今の自分は、どちらも明確にはありませんが、映画「生きる」や子どものおかげで、ぼんやりと認識しつつあるような気がしています。

さて、宣伝です。
映画「生きる」の主人公は胃がんで亡くなりましたが、現代ではがんは必ずしも「死の病」ではなく、治療しつつ共に生きていく病気になってきているそうです。当社でも、そんな現代のがん事情に合わせた保険を、昨年発売しました。「働きながらがんを治療する」という新しいコンセプトの保険、自信を持って、おすすめします。

三船敏郎が演じる侍みたいなおじさんになりたい、事務企画部の石井でした。

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