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デグチがWatch 生命保険業界のオピニオンリーダー・出口治明が、生保について鋭くやさしく語ります!

出口の真っ正直インタビュー オーケストラ指揮者 佐渡 裕 編

投稿者:
出口治明

真っ正直インタビューの第8回目は、20世紀を代表する指揮者、レナード・バーンスタイン最後の愛弟子であり、次世代を担う指揮者として、海外でも第一線で活躍中の指揮者、佐渡裕(さど ゆたか)さんに音楽や日本の子供たちに対する熱い想いを語っていただきました。

出口(以下、出) : 本日は、佐渡さんとこのようなセッションを持たせていただけることを、たいへん光栄に思っています。佐渡さんは日本を代表する指揮者でいらっしゃいますが、指揮をやってみたいと思われたのはいつ頃のことですか?

佐渡(以下、渡) : 母が歌を専門的にやっていたので、家にはいつも歌があって、ピアノが鳴っていて、両親はよく演奏会にも連れて行ってくれました。オーケストラの演奏会を観に行くと、指揮者が指揮棒を持って、シーンとした静寂の中から音が鳴り始めるわけですね。子供ながらに、その姿は本当にかっこいいなぁ・・・と思って見ていました。そして、5年生の時に、京都市少年合唱団のメンバーになって、合唱を指導されている先生の指揮のもとで歌う経験を初めてしました。京都市という所はとても面白いところで、市のオーケストラ、音楽大学、音楽高校、そして子供の合唱団もあって、街がそういう文化施設をたくさん持っていたんですね。そういう環境で、育った影響があると思います。少年合唱団で歌っていた頃に、京都市交響楽団と一緒に演奏会に出て、当時の日本を代表する指揮者の方々の指揮のもと、一緒に共演する機会もありました。ですから自分の中で、「指揮者になりたい」という欲求はいろいろな角度から生まれてきたわけですね。そして、一番身近なところでは、小学校の担任の先生がすごくいい先生で、その先生が指揮をとって、みんなで歌うことがすごく面白いと思うようになったわけです。その頃は、指揮の先生が最も偉大に思えて、それはもうバーンスタインやカラヤンという世界の巨匠以上に自分たちにとっては大事な指揮者だったわけです。その存在が非常に大きかったです。年に数回、京都市交響楽団と山田一雄先生や、京都市交響楽団の指揮台にあがってくる日本を代表する指揮者と一緒に歌えるチャンスがありました。そして、だんだんレコードも聴くようになってきますし、演奏会も観に行くようになって、そこで登場してくるのが小沢征爾という憧れの人ですよね。小沢征爾さんは、僕にとってはアイドルそのものでした。

出 : とてもよく分かる気がします。僕は、歌を歌っても音痴で、下手な英語も関西弁で…。でも、僕も学級委員だったので、小学校の時みんなで歌う時に指揮をすると、すごく気持ちが良くて、憧れるところがありました。佐渡さんの場合は才能がおありで、書かれたものを拝見しますと、タングルウッド音楽祭に行かれて、そこで小沢征爾さんとかバーンスタインさんに見いだされたという、すごいご経歴をお持ちですね。

佐 : 運が良かったんですね。小学校6年生の卒業文集には、大人になったら指揮者になりたい、と書いているんですよ。野球選手になりたいとか、パイロットになりたいとか、という子供の夢と同じようなものだと思うのですが、その後、色々な経験や環境、そして不思議な出会いもあり夢が実現したわけです。自分自身は、将来、音楽で食べて行こうとは決心をしたのは、大学時代です。フルートが専門だったのでフルートを教えて生計を立てていくのか、吹奏楽を指導するとか、ママさんコーラスを指導するとか、大学オーケストラ、街のオーケストラのコーチングをするとか、そういうことでも、食べていける方法があるな、とだんだん思っていくわけです。大学を卒業する頃には、とにかく指揮を振って食べていく、というのが最大の夢になっていました。僕が非常に幸運だったと思うのは、小学校5年生のときに、一番最初に買ったレコードがバーンスタインでしたし、「オーケストラがやってきた」という番組があって、その番組に出演されていた小沢征爾さんに憧れて、バーンスタインを知り、カラヤンを知りました。そうした中で、1985年、原爆から40年という年にバーンスタインが広島で平和コンサートを指揮したんです。僕は京都という、非常に静かで穏やかな街で育って、「世の中、じゅうぶん平和なのでは・・・」と当時は感じていたように思うんです。一方で、バーンスタインが広島の原爆記念館や資料館を見て、非常にショックを受けて、オーケストラの前で、「いまだに我々の国の上の人たちは、いかに人を効率よく殺すかという研究をしている。どうしたらいいのか…、俺たちには音楽しかない、祈るしかない」と言って、ベートーヴェンのレオノーレという序曲を振りおろしました。当時24歳の僕に、平和のメッセージがどれだけ届いていたのかわからないのですが、その指揮姿に言葉を超えて、「僕はやっぱりこの人のもとで勉強したい!」と強く思いました。

出 : その時は聴衆として聴かれていたのですか?

佐 : いえ、テレビの前でした。24歳でフリーで仕事をしていた頃で、今はもう無くなってしまいましたが、大阪の鶴屋食堂という定食屋でサバ煮定食を食べながら、NHKの放送をたまたま観ていたんですね。バーンスタインが振りおろした指揮姿と、その鳴った音はあまりにも衝撃的でした。

出 : 気迫がこもっていたのでしょうね。

佐 : 本当にそうですね。そして「どうしてもこの人のもとで勉強したい」と思いました。でも、勉強したいと思っても行けないのが普通だと思うのですが、本当にたまたま、僕の先輩がタングルウッドに行った時のサイン帳をみせてくれて、そこにはレナード・バーンスタインのサインがあって、セイジ オザワのサインがあって・・・。 それで試験があるって聞いて、ダメもとでもいいやっと思いながら応募して、87年にバーンスタインと小沢征爾の二人と初めて会いました。85年にテレビで観て、86年に応募して試験を受けて、87年の夏にお二人に会えるなんて、本当に幸運だったと思います。

出 : その後、佐渡さんはバーンスタインさんに弟子入りされたんですよね。

佐 : 幸運であり、やっぱり厚かましいところもあったと思うんですよ。自分がしたいと思ったら、そこに全力で向かっていくというのは、今もその頃も変わっていない気がしますね。

- 師匠のバーンスタインには内緒で、ブザンソンのコンクールで優勝 -

出 : 僕もクラシックが好きで、バーンスタインさんのレコードも聴いたことがあるのですが、どんな先生だったのですか?

佐 : そうですね、とにかく面白い人でした。彼の会話にはジョークが溢れているのですが、一方でどう生きて行くか、ということから、彼の宗教観を伺えるような言葉や、指揮者として自分の夢をどう実現していくのかに至るまで、非常に本質的な話もしてくれました。彼の周りにいる人たちみんながそうでしたけど、非常に好奇心に溢れた時間が流れていましたね。

出 : 佐渡さんが師事された頃は、お弟子さんは何人ぐらいいらっしゃったのですか?

佐 : どうでしょうかね。彼は非常に公平な人でした。若い指揮者は当然バーンスタインに会いたい、彼のもとで勉強したい、仕事をもらいたいと思うわけです。そういう人たちに対して、楽屋の扉はいつも開いていました。誰でもすぐに迎え入れるし、初めての人であろうが、音楽評論家であろうが、若い学生であろうが、まったく同じ友人のように対応していて、とてもオープンな人でした。ただ彼のもとで勉強ができる、彼のアシスタントになれる、それに関しては、ちゃんと試験があるんです。だから僕もタングルウッドの試験を受けて、タングルウッド音楽祭でバーンスタイン、小沢征爾のお二人に師事できることになるのですが、その後日本に帰って小沢先生のもとで勉強する期間があるのですが、バーンスタインが元気なうちに彼のもとで勉強したい、と小沢先生にお伝えしたら、行けるのだったら行きなさいと言われて、バーンスタインに手紙を書きました。「すぐにあなたの所で勉強したい」と伝えたところ、彼は「それはいいことだ。ただし試験があるので、それを受けなさい」と。バーンスタインに最初に会ったのが87年なのですが、88年の夏にドイツで行われるシュレスビッヒ・ホルスタイン・ミュージックフェスティバルで指揮クラスを持つので、その試験を受けなさいと言われました。3日間程の試験があって、全世界から推薦された候補生30人の中から、4名が選ばれるわけなんですね。それに選ばれるとバーンスタインと一緒の演奏会の前半を指揮することが許されるのです。

出 :  なるほど。 それで世界中を回られるわけですね。

佐 :  そういう意味では、彼のまわりにはいっぱい若い人たちが、何か得るものはないかと集まってくるのですが、誰にでも時間が許す限り質問に答えて、向かい合ってしゃべっているような人でしたけれど、直接教えるとか、そういう限られた権利みたいなものはオーディションによって選ばれていました。

出 :  ではその4人の方がずっと一緒に回られるということですね。

佐 :  そうですね、ツアーですから1ヶ月半ぐらい一緒に過ごします。そういうことを繰り返していくと、彼も、「じゃあ次のツアーにも一緒に来るか!」と声を掛けてくれるわけですね。これは不思議ですけど、87年から90年の夏まで一緒にいたのですが、結果的に僕はバーンスタインの最後の演奏旅行であった札幌のPMF音楽祭もご一緒させていただきました。

出 :  バーンスタインさんについて勉強されている間に、たしか佐渡さんはブザンソン国際指揮者コンクールで優勝されて、指揮者としての登竜門を一挙に駆け上がられるわけですよね。

佐 : そうですね。89年9月にブザンソンのコンクールで優勝しました。でも、バーンスタインは才能の塊りのような人でしたし、何となくコンクールを受けるというのは、一発狙いみたいでバーンスタインには、なかなか言えなかったんですね。

出 : どうしてですか?

佐 : 地道に勉強していれば、将来仕事が来るのか、将来いい指揮者になるのかは、自然と結果が出ることであって、コンクールに挑戦して、一等賞をとっても意味がない・・・、とバーンスタインは思っているのではないかと気になって、なかなか打ち明けられませんでした。バーンスタインに内緒で89年のブザンソンのコンクールを受けて、ファイナルになった時に、ちょうどバーンスタインのウィーン・フィルとの練習が、始まってしまいました。僕がウィーン・フィルの練習に顔を出さないのはおかしいわけです。それでどうしようもなくなって、決勝の前の日かな、ウィーン・フィルとの練習が始まる前の日に、ホテルに電話して「実は、レニー(以下全て共通)(バーンスタインの愛称)に内緒でコンクール受けているんだ・・・」と初めて言いましたら、そうしたら「何で俺に言わないんだ! 推薦状も書いてやることもできたのに・・・・」ってすごく怒られましたね。

出 : でも、佐渡さんが優勝されてバーンスタインさんは喜ばれたのではないですか?

佐 : そうですねぇ。バーンスタインも「お前が優勝することをとにかく祈っている」、「お前のビクトリーは神様だけが知っていることだけど、それを授かるように・・・」と言ってくれて、優勝してウィーンに戻ったら、バーンスタインのマネジャーが、「レニーは本当に、君の優勝を祈っていたよ」と言っていました。

- もしかしたら、ギネスに登録されるくらいの数の演奏会を指揮してます(笑) -

出 : それからあとは、「題名のない音楽会」をはじめとして、クラシックだけではなくて、幅広くいろいろなことをやっていらっしゃいますね。

佐 : そうですね、欲張りなのでしょうね。僕の中では、音楽は子供の頃から大好きなものだったのですが、それは形が残るものじゃないんですよね。たとえば散髪屋で髪の毛を切ってもらうと、それで2000円か3000円払いますよね。具体的に3000円払った分、髪の毛が切れていて、小奇麗になっているわけですよね。タクシーに乗った場合も2000円払って、2000円分移動できますよね。でも、音楽というのものは、2000円、3000円払っても、手元にプログラムは残るかもしれないけど、音は残るわけでもないんですよね。そしてだんだん、自分の仕事でお金を頂いても、形が残らないことについて、ちょっと考え始めるんです。それが30代ぐらいですかね。音楽は、無意味なことにすごく価値があるのだと今はわかっているのですが。その時は、演奏することは最も大事なことで、最も自分が好きなことでしたが、もっと社会にできることがあるのではないか、と思っていました。30代の頃なんて若いし、経験もないし、言葉も持っていないので、自分の欲求が指揮台に上がること以外のことに、少し向かい出したのかもしれません。そんな頃、バーンスタインが亡くなりました。今でもはっきり思い出せますが、バーンスタインという人は才能に溢れた人で、指揮をすることはもちろんだけど、ピアノを弾き、作曲家の視線でものごとを語り、役者のようにしゃべれて、政治家のように人の心をつかめて、宗教家にでもなれる人でした。指揮者として、あまりにも有名な人だったし、同時に「ウエストサイドストーリー」の作曲家として有名な人でありました。

出 : 幅広いお仕事をされた人ですよね。

佐 : そうです、幅が広い。バーンスタインが自分の人生を振り返って、「最も自分が誇りに思う仕事は?」という質問をされた時に、NYフィルハーモニー桂冠指揮者であることを語るのか、あるいはウィーン・フィルとの長年の名演のことを語るのか、ベルリン・フィルとのたった1回のコンサートのことを語るのか、みんながその答えに興味があった時に、彼は「『ヤング・ピープルズ・コンサート』で、次の世代の子供たちに音楽を届けられたこと」と答えたわけです。これはレニーがニューヨークフィルと一緒に作成し、全米で放映されたテレビ番組なのですが、この言葉の意味は、今になってすごく重要なことだとわかるのですが、それを聞いた時には、同じ指揮者、世界のトップを目指したいと思っている指揮者として意外な言葉でしたね。彼の才能がなければ『ヤング・ピープルズ・コンサート』は成功しなかったと思います。1950年代当時、アメリカには野球があり、ジャズがあり、ミュージカルの世界があり、映画の世界があり、戦争の影響もあってどんどんヒーローや、強いアメリカが出てくるのに、クラシック界だけはヨーロッパの指揮者が牛耳っていたわけです。誰もがアメリカ人の指揮者を待ち望んでいた時期でした。だからアメリカ人のスターであるバーンスタインが、NYフィルというアメリカ最高のオーケストラを使ってカーネギホールというアメリカのクラシック音楽の象徴的な場所で、『ヤング・ピープルズ・コンサート』をテレビの生放送で放映した意味は大きかったですね。アメリカ人のために、そしてこれからのアメリカの音楽界のために作られたコンサートだったわけで、今のアメリカのメジャーオーケストラから様々な演奏家まで、ほとんどの人がこの番組を観て育っていますし、未だに映像は非常に新鮮で深いものがあります。それがアメリカのオーケストラを支え、多くのファンを作り、世界的な指揮者や演奏家を生んだといえると思います。

出 : 次の世代をどう育てるかということは、人間の一番大事な責務のような感じがしていて、すごい人というのは、自分を高めようということと同時に、次の世代にそれを伝えようということを一所懸命に考えているような気がします。私たちがやっているビジネスである生命保険も、いつ一番必要なのかと言えば、子育て真っ最中の大事な時に万が一のことがあったらということが生命保険の原点にあるわけですから、次の世代をいかにきちっと育てていくのかということが、大事になりますね。

佐 : そういう意味では、バーンスタインの遺志を継ぎ『佐渡裕ヤング・ピープルズ・コンサート』を日本で作るようになってもう10年が経ちました。年間の演奏会の回数も最近は100回を越える年が多いですね。「題名のない音楽会」も始まりましたから、これはテレビの収録ですけれども、年に150回ぐらいの本番回数になります。

出 : そんなにですか? もしかしたら、佐渡さんが世界で一番たくさん指揮を振っていらっしゃるのではないでしょうか?

佐 : どうでしょうかねぇ、ゲスト指揮者として海外に行くことも非常に多いですね。僕らは演奏会の前にオーケストラとの練習が必要なので、100回公演をするといいますとね、ほぼ3日間練習して3日間演奏会に出て、1日移動する、というペースで仕事をしています。 例えば来年はヨーロッパの方が多くて、1月の中頃までは日本にいますが、そこから1週間単位で国が変わっていくペースですね。それこそ、イギリスに行ったかと思えば、次の週はドイツで、その次の週はイタリアで、みたいなことが6週間ぐらい続きますね。

出 : 100回振るということは、練習を考えればほとんど毎日振っていらっしゃるわけですよね。

佐 : ほぼそんな感じですね。だからそう意味じゃ、かなり数多くの世界中のオーケストラを指揮している指揮者の一人だと思います。もしかしたらギネスに登録されるくらいの数の(笑)。

- 予測ができるものだけでは、やっぱりつまらない -

出 : 1回指揮をするとかなり体重が減るとか、かなりエネルギーを使うと言われますけど、100回以上も演奏をしておられて、こんなにお元気なのは、なにか秘訣があるのですか?お好きだということですか?

佐 : なんでしょうねぇ…。切り替えは早いですね。仕事をやる時間、休む時間という意識の区別は、はっきり持たないといけないですね。仮に晩ごはんが2時間だとしても、その時間はオフだと思うようにしていますし、飛行機の中の時間もオフなのか、オンとして勉強するのか決めてから乗ってますね。

出 : 決めてから飛行機に乗るわけですね、オンかオフか。

佐 : 気分をパンッと変えないといけないので、できるだけそうありたいと思っています。本当に夜中でも遊ぶし、スケジュールが決して厳しくなくても体調を整える必要もあるので休む時は休みます。昔は本当にいくら徹夜をしても次の仕事に間に合わせていましたけど、最近はそれなりの年齢になってきて、寝たもん勝ちだな、と思うようになりましたね。寝るということは大事なことですねぇ。

出 : 僕も、ライフネット生命の立ち上げでこの2年間は週末も出ていて、休みも取れなかったのですが、昔から寝るのが大好きで、疲れたらすぐに寝てしまいますね。

佐 : 睡眠は物づくりにも大切ですよね。ものを作っていくと、ある種、何か神が降りてくるような瞬間があるじゃないですか。突然文章がフヮーっと書けたりとか、絵がフヮーと描けたりとか。そういう感じは確かにあるのですが、年間100公演以上振るには、常にそういうものを持っていかなくてはならないので、指揮者ってすごく芸術家みたいに思われるかもしれないけれど、実は現場監督で、工事現場の職人さんであるバイオリンの専門家、トランペットの専門家が100人集まっている集団で、その場で誰が大きすぎるとか、引っ込み思案だとか、どこにオーケストラの能力が高いのか、何が劣っているのか、一瞬で見抜いて、本番で最もいい状況に持っていかないといけないのです。そういう意味では、自分の中でこういうものが作りたいと思っても、自分が音を出しているわけでもないし、自分が音を作り出しているわけでもないんですよね。

出 : プロで演奏している以上、いつも最高の自分を出さないといけない、という話を聞いたことがありますが。

佐 : それでいて、何か予測ができるものだけではやっぱりつまらないので、この瞬間に何か新しいものが生まれた、自分の中で成長したと思えるものがないといけないので、もちろん長い睡眠をとることだけが大事ではないですけど、そんなに僕は長く寝ないですけどね、遊ぶ時間も確保し、自分が次の扉を開くというか、勉強する時間も確保し、それでその日の仕事をやらなくてはいけないという感じですね。だからゴルフは大好きで、スケジュールが詰まったりした時にゴルフを控えた時があったのですが、全ての事がつまらなくなりました。

出 : 好きなことを止めたら、かえって駄目になるし。忙しい時ほど良く遊べとか、サラリーマンでも言われたりしますよね。

佐 : 一生懸命にやっている自分がいると、他のことにも、輝きが増すというのかな。オーラじゃないけれど、多分人が発している光というのがあって、好きなことをやっている、そういうことにちゃんと向き合えている時は、その人が発している光に影響している気がしますね。やっぱり指揮をすることも、テレビでしゃべることも取材で時間を過ごす時も、好きなことがあってそれにちゃんと向き合えている時はいいですね。

出 : 忙しい分刻みのスケジュールの中で一所懸命遊び、一所懸命仕事をしている時は、やっぱりどのジャンルの人でも何か光っている気がしますよね。

佐 : まぁ、決していつもすごくポジティブな人間ではないので、同じだけネガティブな部分もあるし、暗い部分もあるし、それと付き合っていくこともすごく大事だと思いますね。人に伝えなくていいことは伝えなくていいし、でも、明るいだけが自分のとりえじゃないし…。

出 : 外見はすごく明るくてダイナミックでいらっしゃいますけどね。

佐 : たくさんの方が、「佐渡さんの指揮を観て、演奏を聴いて元気になりました」と言ってくださることは非常に嬉しいことですけど、僕は無理して「よし、今日も本番頑張るぞ」とか気合を入れて頑張る方じゃないですよね。そういうのは不自然のような気がして、できるだけ自然体のままでやっています。でも自分自身の気が充実していることが非常に大事なことではないか思います。

出 : そうですね。私たちの事務的な仕事でもやっぱり同じで、なんとなく今日も天気がいいから頑張ろうとか。

佐 : そうですね。

出 : ちょっとしたことで、集中力が変わったりして、後から見ると、出来具合に影響することがありますよね。

佐 : 指揮者というのはそういうことも含めて、例えば日曜日のお昼の2時の演奏会で、こういう真っ青な空の日に演奏会をするのか、11月頃で落ち葉が散っている日の夜の7時に演奏会をするのか、ということは大きく違いますし、その場に応じたプログラムを設計しないといけないと思いますし、設計するのは作曲家ですが、それをどうコーディネイトしていくか、ということです。工事現場の監督でもあるけれど、それをプロデュースする人間でもありますね。

出 : シェフのような要素もありますよね。

佐 : そういうことを全然考えない人もいらっしゃいます。本当に音楽のことだけを考える人もいるし、それはそれでいいと言う人もいますけれど、僕は、演奏会が終わった時のことを想像しますね。皆がホールを出た時、体ので心のひだひだみたいなものが、ゆっくりと動いている状態の時、ホールを出た時に何時ぐらいが日没で、カップルがどこかのレストランへ行くのかなとか、家族連れでどこかへ帰るのかなとか、そんなことまで想像して演奏しています。そういうことに関しては敏感でありたいと思っています。

- 次の世代に、僕を通して届けたいと思っていること -

出 : ところで、佐渡さんはこれだけ幅広い活動を全世界でされていて、これから、どういうところを目指したいと考えていらっしゃるのですか?

佐 : 一つは、ただ指揮をするというだけでなくて、何かの形でもっと社会と繋がっていたいという気持ちがあります。年間100回を超える公演の間に、小学校を回って音楽の授業をしたり、今は兵庫県の劇場を任されているのですけど、商店街やその劇場の周囲のイベントにもボランティアで参加したり、県内の学校を回る活動もしています。それは、絶対必要なことだと思っていて、つまり、さっき出口社長が言ってくださったことですが、自分の仕事とはなんだろう、自分って人は何なんだろうと考えた時、究極のところ、人は次の世代に何を残して行くか、ということに行きつくと思うんですね。バーンスタインが亡くなった時に、あれだけ才能があった人が、確かに「ウエストサイドストーリー」という名作のミュージカルを残したし、たとえば音楽の教科書や音楽史にバーンスタインと名前が残っていることは間違いないことですけど、結局、人というのは、どこかで生まれどこかで死んで行き、それを繰り返していくと。彼の霊魂がいつまで残っているのか、そんなことよくわからないけれど、僕の中には、バーンスタインはすごく大きな存在として今も残っているんです。

出 : バーンスタインさんの想いが、きちんと佐渡さんにバトンタッチされている気がしますね。

佐 : そうですね。僕の親であったり、小学校の担任の先生や、小沢征爾さん、バーンスタインから得たこと、いろんなことを次の世代に、僕を通して届けたいと思っています。だから、クラシックは普遍的に愛され続ける、非常に大事なものであって、僕は自分のことは芸術家とは言わないですが、芸術に関わって、形は残らないかもしれないけれども、また次の人がそのことを自分のフィルターの中でいろんな経験をして、自分がそれぞれ出会った人とのことも含めて、次の世代に伝えていくと。こういう非常に大きな使命を持ってこの仕事に関わっている、というのが自分の中での一つの結論です。自分は小学校の時に、将来大人になったら何になりたいかというコーナーで、卒業文章に、「ベルリン・フィルハーモニーの指揮者になりたい」と、具体的に書いているのですが、でも、まだベルリン・フィルは振っていないんですね。

出 : 上がっておられないのですね。

佐 : 子供の時に阪神タイガースの選手に憧れたみたいなもので、もしかしたらその時が来るのかもしれないし、それは一生来ないのかもしれないし。今までもベルリン・フィルからのオファーは実は3回ぐらいありました。たまたま時間が合わなかったり、どうしても無理なスケジュールだったり、結局、演奏会がキャンセルになって流れてしまったりと色々な理由で。だから今後も縁がなく、もしかしたら自分の人生が終わってしまうかもしれないけど、ザルツブルク音楽祭に出たいとか、どういう作品を指揮したいとか、そういう具体的な、何ていうのでしょう、目標じゃないけど、そういうものを持っていないわけではないですが、それは、そういうことが起こるのだったら、受け入れて精一杯やろうというのが今の思いですね。だから自分がこれから指揮者として、少なくとも、一般的に人が仕事を引退すると言われている70歳ぐらいまでなのか、もっと先なのか分かりませんが、その年ぐらいまでは、できるだけ社会に貢献できることがあったら、自分からもやりたいと思います。そういうこともしながら、指揮活動をするということは、形に残ることではないけれど、人から人にどんどん伝わっていることを大切にしていく仕事なんだと思ってやっていきたいと思います。ただ、指揮者に引退はないのでいつまでも指揮できるわけですけど、もしかして、引退してもういいでしょ、と、ここからはもう自分の好きなようにさせてくれと、いうような時が来るような気がして、その時は指揮をする回数も減らすでしょうし、本当に指揮したい曲だけに絞るでしょうし、自分が選んで最高の音を出してくれるオーケストラに絞るでしょうし、そういう日が来るのか来ないのか、70歳ぐらいになってみないとわからないですけど。

出 : バーンスタインという人はもちろん僕は知らないですが、今までの佐渡さんのお話を伺っていると、本とか雑誌で読んだバーンスタインが考えていた遺伝子が間違いなく佐渡さんの中に息づいているような気持ちがします。佐渡さんが冒頭にも音楽というのは形も無いと言われましたが、でも本当にいい音楽を聴いたり、映画でも舞台でも、芸術でもそうですけど、これはいい時間を過ごしたな、と思う時は気持ちがすごく豊かになりますよね。僕は人間にとってそれは、とても大事なことだと思っていて、例えば、生命保険というのは、シビルミニマムでいいと思っていて、いざと言う時の保障があればそれでいいと考えています。ちょうどアンケートをとったら、私たちの会社で保険を見直していただいたお客様はですね、月7000円ぐらい保険料が安くなっているんですよ。僕は生命保険は最低限でいいからやっぱり全ての人に豊かな人生を生きてほしいと、そのお手伝いをするために、例えば私たちの生命保険であれば従来の保険会社より月7000円も安くなって、それで美味しいものを食べに行ってもらってもいいし、佐渡さんのコンサートにはちょっと行けないかも知れませんが(笑)、そういうお金の使い方の方がやっぱり人生を楽しくするのではないかと。私たちはそういう社会を実現するために、特に一番負担が大きい子育て世代に日本で一番安い生命保険を提供して行きたいなと思っています。

佐 : 社長がおっしゃられたとおり、指揮者みたいな仕事は保障されていないですから、本当に世界中のオーケストラを指揮してしますが、自分でラーメン屋さんの屋台を引っ張って世界中を回っているようなもので、うちのラーメン食ってくれと、うまかったらまた食いに来てくれと。

出 : そういう想いで、指揮棒を振っていらっしゃるわけですね。

佐 : 僕は本当にそんな指揮者だと思いますね。そのラーメンが美味くなかったら流行らないなという商売だと思っているので、健康でなければいけないし。だから保険は非常に大事に思いますし、何かと言う時には随分助けてもらいました。僕も病気をしたこともありますし。海外で特にそういうものが必要になったことも今まで何回もありましたしね。でも月7000円だって、とても大きなお金ですよね。それで本当に豊かになるものが手に入るのですから。

出 : 僕もそう思います。すごく古い言葉ですが、人はパンのみにて生くるにあらず、と。衣食住は絶対基本だと思うのですよ。でも、衣食住だけではやっぱり人間は生きていけない動物だと思っていて、生命保険も衣食住の次にくると思います。しかし、保険はミニマムであるべきで、本当に人間が人間らしく生きていためには、先ほど佐渡さんも言われていましたけど、好きなことにお金を使うべきだし、好きなことをやっているとその人の人生がその人なりに輝いてくる気がしますよね。そのために、できるだけ安くて本当に良いすっぴんの保険とか言っていますが、そういうものを提供することが生命保険会社の義務だと僕は思っています。グローバル化の中で、この十年位で日本の平均世帯の所得をみると15%くらい低くなっているんですよね。日本人の平均は10年前は一世帯660万くらいだったのが、今の平均は560万くらいで。やっぱりそういう方達にはわかりやすくて安くて便利な生命保険を提供する義務があると。その一方で、音楽や芸術など、人間らしく生きていくために必要なものを絶対ケチってはいけないと思います。

出 : 話は変わって、これまたすごくミーハーな質問になりますが、ベルリン・フィルへ行かれることがあったら、何を振られたいですか?

佐 : うーん・・・・、昔から変わっていないですが、ベルリン・フィルに出るんだったらベートーヴェンですね。

出 : ベートーヴェンの何番ですか?

佐 : 何番かな・・・、やっぱり7番かなぁ。

出 : 7番と言えば、この前みた映画のテーマ曲が確か7番でしたね。すごくオタッキーな映画だったんですが。

佐 : 邦画ですか?

出 : いえ、洋画です。インド人の監督した映画で、「落下の王国」という映画でした。

佐 : ベートーヴェンがテーマの映画ですか?

出 : いえ、まったく違います。これは面白い話で、病院に入院している男性が、入院している間に自分の恋人をライバルにとられて、映画のスタントマンだった彼は自殺をしようと思う。そこに3歳か4歳の小さな子供が遊びに来て、その子供に物語を話して聞かせて、その子供を使って毒薬を手に入れて自殺しようとする物語なんです。ところが荒唐無稽な物語を話しているうちに、その子供も物語の中に入ってきて、結局生きる力を得るというテーマの映画でした。

佐 : インド映画でそんな映画もあるのですね。踊ってばかりじゃないんですね(笑)。

出 : 僕の記憶では、その冒頭はベートーヴェンの7番だった気がします。佐渡さんがベルリン・フィルで7番を振られるときは、ぜったい聴きに行きたいと思います。

佐 : まだ全然決まったわけではないのですが・・・(笑)。でも、こうやってしゃべって言葉にしていくと自分の考えが、自分の中で整理されていくのが、自分の中で原稿になっていくのって面白いですよね。

出 : そう言っていただけるとありがたいです。

佐 : 僕の人生のなかで、何人かキーパーソンの人が出てくるんですよね。バーンスタインも小沢征爾ももちろんそうなんですけど、たとえば去年お亡くなりなりましたけど、河合隼雄先生。心理学の先生の存在は大きくて、よく一緒にフルートも吹きましたし、最後これも不思議で、パリで先生が講演に来られた時に食事したり、倒れられる次の日に本当は河口湖で一緒に「フルート演奏と対談」という演奏会も予定されていて。7年ぐらいのお付き合いでした。僕なんか頭の悪い人間ですけども、河合先生に「面白い、面白い」と「佐渡君、面白い」とずーっと言い続けてもらって、先生によって、自分の中の言葉とか自分自身の面白さだとか、次の世代のために何をしていかなくてはならないのか気付かされたところも多く、かなりのまだまだ先生に質問はいっぱいあったのですが、河合先生との出会いは大きかったですね。

出 : 河合先生はお会いしたことはないですけど、昔、岩波の「世界」という雑誌によく論文を書いておられて。河合先生の書かれたいくつかの論文はコピーをとって今でもずっと机の中に入れてありますけど。人間の関係性についてすごく示唆をいただいた気がします。あと、佐渡さんが先ほどおっしゃられたように、僕自身も流れに流れていくというのがすごく好きで、佐渡さんが言われたことの中で、そのベルリンに立つ夢はあるけれど、それはでもどうでもいいんだとか、要するにいろんなめぐり合わせでそうなるんだというのは、とても共感できます。僕自身、この会社を還暦のベンチャーで立ち上げましたけど、絶対立ち上げたいと思ったわけではないのですよね。自分の心の中で作るのだったら、絶対こんなものをつくりたいと思う気持ちと、今の生命保険会社はおかしいから、こういう保険会社があるべきだと思う気持ちはあったんですけど。たまたま谷家さんという40歳くらいの人に偶然出会ってその人が「出口さん絶対来て下さい。僕のグループに」と「ゼロから生命保険を作りましょう」と言ってくれて、それで今があるわけなんですけど。でも本当にこういうことをしようとか、こういう風になろうと一所懸命思うだけではないような気がして、人間というのは社会のいろんな大きな流れがあり、人との出会いがあり、そういう中で、生かされているのですよね。

佐 : 助けてもらいですね。

出 : そうです。助けてもらって、生かされている気がするんですね。そういう面では、いつも真剣勝負しているわけですね。もうひとつ最後に、全世界どこでも屋台を引いて行くというのは、どこでも色々な出会いを求めて、何も自分でえり好みしないでやっていくということは、それも僕自身にもあっている気がしました。どんな席でも、誘われれば僕は行きます。別に飲むのが好きだというわけではなくて、声をかけてくれるのが嬉しいし、どんな出会いがあるかわからないですよね。好奇心も強いのだと思いますけど。だから自分でえり好みしないで世界中をラーメンの屋台ではなくて指揮棒を持って回られているのは本当に素晴らしい人生を歩まれているんだと思います。ベルリン・フィルを振る際は、ぜひ、観に行かせてください。今日はお忙しい中、こんなに長くお時間をいただき本当にありがとうございました。

最後に佐渡さんより、「チャイコフスキー・交響曲第5番」のCDに直筆サインCDをいただきました。


佐渡ファン待望の本格的アルバムが登場!
佐渡がもっとも得意とするチャイコフスキーを、怒涛の気合とクオリティーで録音!
発売日:2008年9月24日/品番:AVCL-25367/価格¥3.000(税込)
SACD、Hybrid、Stereo/Multi (5.0ch)





佐渡 裕 プロフィール

京都市立芸術大学を卒業。87年タングルウッド音楽祭参加後、故レナード・バーンスタイン、小澤征爾に師事。89年新進指揮者の登竜門として権威ある「ブザンソン国際指揮者コンクール」優勝。95年「第1回レナード・バーンスタイン・エルサレム国際指揮者コンクール」優勝。

現在、パリ・ラムルー管弦楽団首席指揮者を務めつつ、スイス・ロマンド管弦楽団、ローマ・サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団、RAIイタリア国立放送交響楽団、シュトゥットガルト放送交響楽団、バイエルン放送交響楽団、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団、ベルリン・ドイツ交響楽団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などヨーロッパを中心に一流オーケストラへの客演を毎年多数重ねている。またここ数年はパリ管弦楽団定期演奏会を毎シーズン指揮し、03年には同管弦楽団との共演で、フランスの「エクサンプロヴァンス音楽祭」にてヴェルディ「椿姫」を上演。07年7月にはスイス・ロマンド管弦楽団を率いて、フランスのオランジュ音楽祭でオペラ「蝶々夫人」を公演し大成功を収めた。

国内では、恩師レナード・バーンスタインの遺志を継ぎ、子供たちのためのオリジナルコンサート「佐渡裕ヤング・ピープルズ・コンサート」を1999年以降毎年指揮する他、シエナ・ウインド・オーケストラ首席指揮者や、「兵庫芸術文化センター管弦楽団」の芸術監督も務める。録音活動も活発で、「幻想交響曲(パリ管弦楽団)」「マーラー交響曲第5番(シュトゥットガルト放送交響楽団)」などの海外ライヴCDやシエナ・ウインド・オーケストラを指揮した「ブラスの祭典」シリーズなどを次々リリース。最新盤として10月22日に『ラフマニノフピアノ協奏曲第2番』(ピアノ:辻井伸行/ベルリン・ドイツ交響楽団/エイベックス・クラシックス)をリリース。2008年4月より「題名のない音楽会」(テレビ朝日系列局毎週日曜日9:00放送)の司会を務めている。

なお、この対談は、ライフネット生命の株主である、株式会社朝日ネットさまのご好意で、実現したものです。

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